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世界遺産・古代遺跡めぐり


大阪府堺市 古墳群
大阪府堺市 古墳群

前方後円墳

今回は多少堅めの古墳の事です。あの学校で習った古墳時代の話です。退屈な話と思わずお付き合いください。

 

いよいよ平成の御代も末まで来て、これまで頑なに閉じていた陵墓の一部が学術調査しても良いことになったようです。

 

これも今上陛下のお陰かと思われます。宮内庁には歴代の天皇のお墓を管理している「書陵部」という部所があります。

 

この中には初代天皇と言われる神武天皇陵や卑弥呼の墓ではないかと言われる箸墓古墳もあります。

 

これらの墳墓は代々、厳重な管理のもとに置かれ、その内部はおろか、その製作課程や存在意義さえも不明です。それをこの度、自然崩壊や天変地異による破損の具合の調査をかねながら一部の発掘をはじめました。

 

そこで今回話題にしたのは古墳とは何かという話です。だれも書いたひとがいませんので格好のテーマかと思い、長年調べてきたものを記して置きたいと思います。

 

結論から先にいうと、やはり「お墓」でそのルーツは秦の始皇帝の(兵馬俑)や、エジプトのピラミッド、さらにはメソポタミアの遺跡にも遡る「被葬者の冥界での生活を維持するため」と考えたインフラです。また、遺された者や子孫が行う先祖供養、現世利益のための祭り場、及びその施設です。前方後円墳

 

なので発掘すると必ず、おびただしい数の埴輪が出土します。何故ならばこれは古くからある権力者、皇帝などの埋葬習慣を踏襲したからです。例えば中国の兵馬俑なども秦の始皇帝が生前に暮らしていた生活様式を、そのまま地下宮殿として再現してるからです。「死んであの世に行っても日常生活に困らぬように」だそうです。

 

参考:前方後円墳とは 前が角形で後ろが円形の墓のこと

 

そして先祖供養とは現在も変わりませんが、子孫達はそんな偉大な先祖が持つ力を「我に与えたまえ」と祈るのだそうです。特に権力者の家柄では代替わりするときには「践祚の祭り」*という事をしなければなりません。その際は後円部分の一番高い所に、祭壇を築き天に向かって詔を述べる「封禅」**という儀式を行ないます。

 

◎ 封禅というのは、天には天帝がいて、天と地を治めているので、新たに全地上の支配者になった者は、その土地を(封)治める権限を天帝から(禅)譲り受ける儀式です。おびただしい供え物や生け贄、献上品が必用です。

現在も家を建てるさいや土木工事でも、四方に〆縄を張り神主さんが祝詞を挙げる地鎮祭がその名残です。

 

◎ 相撲で横綱の土俵入りの「四股を踏む」も「醜股を踏む」でその土地の邪気を封じ込める同じ地鎮の祭りで、すでにピラミッドのリレーフにあります。決してモンゴル発祥でもなんでもありません。むしろ、日本の古墳からも多少素朴ですが力士像の埴輪が出るはずです。

 

ですから、八百長互助会を作ろうと貴乃花親方を辞めさせてはあかんでしょう。ガチンコで勝負をしないと邪気が蔓延って地震や津波に負けまっせ。それでは堕落した天使をのさばらす事になり、やがて神聖なスポーツでなくなります。

 

*践祚「センソ」と読みます。

 

**秦の始皇帝も山東の泰山で行うとしたが、この時期にはすでにその儀式の様式も廃れてしまって、誰もやり方が分からなかったと言われています。泰山とは、あの「泰山鳴動してネコ一匹踏んじゃった」とかいう泰山です。山東半島がある山東省にあります。

 

そしてエジプトのファラオも同じような践祚式を行っていました。メソポタミア時代からある権力交代時の決まり事でずっと踏襲してたようです。むしろ、しないと何か災いが起きて不慮の政変が起きるとか信じられていたようです。これが現世利益のためのお祈りです。

 

 

ちなみに1970年代に兵馬俑が発見されたとき、その出土した兵士達の顔が一体ごとに違うと不思議がれました。その時、私は「それぞれの兵士の像に実在のモデルが居たから」と唱えました。今ではその説が通説のようです。その内に始皇帝の家臣団・三傑の埴輪なども出土するのではないか期待しているところです。

 

来年五月には本朝でも改元となります。その際テレビ等でも「践祚大嘗祭」の様子が見られます。多少でも意味が分かると楽しみが増えるではないでしょうか。以上です。

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